令和6
5月
山下弘純五代目社長に就任する。
令和3
4月
原工業株式会社の株式を取得して傘下とする。
同時に株式会社シグマ工業、株式会社ゼロワンも系列下におさめる。
平成30
3月
日高富川太陽光発電所を竣工。
平成29
4月
岩見沢市栗沢町に工場新設。
平成27
3月
旭川永山太陽光発電所を竣工。
2月
株式会社三晄プレコンシステムの株式を取得して傘下とする。
平成26
4月
錦工業株式会社の新設分割会社の株式を取得して傘下とする。
3月
苫小牧太陽光発電所を竣工。太陽光発電事業を開始。
平成24
1月
茨城県つくば市に工場新設。
平成22
9月
二代目山下弘会長物故され、山下勝久三代目会長に就任する。
平成21
4月
北海アサノコンクリート株式会社の新設分割会社の株式を取得して傘下とする。
同時に北進運輸株式会社、道瑛コンクリート工業株式会社、株式会社ニューアクシスも系列下におさめる。
旭勇産業㈱の油脂部門を事業譲渡により譲り受け、オイル事業部を新設。
平成20
10月
苫小牧営業所を開設。
4月
函館営業所を開設。
北海道ロックラーパイプ株式会社の株式を取得して傘下とする。
平成19
3月
MBO実施により非上場化。
平成18
6月
山下裕久四代目社長に就任する。
3月
株式会社ニシモトを吸収合併。
2月
大阪営業所を開設。
平成16
12月
日本証券業協会への店頭登録を取り消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。
6月
東京支店内に一級建築士事務所を開設。
平成15
7月
東京営業所が支店に昇格。
平成14
2月
建設用軽量フルプレキャスト床板(ユニスラブ)が、財団法人日本建築センターの一般評定取得および耐火認定を取得。
平成13
2月
群馬県邑楽郡板倉町に工場新設。
平成12
8月
賃貸マンション「N120」を旭川市永山に竣工。(54戸)
平成11
6月
山下勝久三代目社長に就任する
4月
永山工場、当麻工場、東旭川工場を東鷹栖工場に統合する。
平成9
6月
米里工場の生コン設備更新を行う
4月
札幌市中央区南5-9に自社ビルを購入し、札幌支店を移転する。
平成8
4月
日成ブロック工業株式会社を系列下におさめる。
2月
富川営業所を開設。 八雲営業所を開設。
平成7
12月
米里工場を新設。
2月
東京営業所を開設。
平成6
4月
仙台営業所を開設。
2月
日本証券業協会に店頭登録。
平成4
11月
札幌大通りに自社ビルを購入し、札幌支店を移転する。
10月
オーストラルブリック社と国内総代理店契約を締結し、オーストラリアレンガの販売を開始する。
北海道知事より宅地建物取引業の許可を受ける。
平成3
11月
北海道知事より建設業の許可を受ける。
4月
系列会社2社、ダンケ工業、福屋コンクリートと合併、社名を(株)旭ダンケとする。
旭川支店を設置する。
3月
東旭川工場を新設。
賃貸マンション「サンライズコスモ」を旭川市永山に竣工。(110戸)
平成2
12月
札幌工場にプレスタイルマシーン新設する。
8月
愛別工場に第2工場増設する。
7月
東鷹栖工場にインターロッキング最新設備増設する。
4月
(株)旭愛と合併。
3月
東鷹栖工場に生コンプラント2. 5㎡新設する。
平成1
4月
札幌工場、美幌工場にパイプマシーン新設する。
2月
賃貸マンション「コスモ永山」を旭川市永山に竣工。(108戸)
昭和63
4月
東鷹栖工場に大型ブロック専用製造設備1ライン新設。
3月
札幌工場にバイコン縁石専用製造設備1ライン新設。
昭和62
5月
株式会社ニシモト(紋別)、系列下におさめる。
4月
東鷹栖工場にバイコン縁石専用製造設備1ライン新設。
網走営業所を道東支店に昇格。
昭和60
6月
東鷹栖工場に新舗装材インターロッキングブロックの製造設備を新設。
昭和59
4月
網走営業所(美幌町)を開設。
昭和57
5月
美幌町に工場新設。
4月
愛別工場にプレテンション方式のPCコンクリート製造設備を増設。
昭和56
12月
札幌工場にプレテンション方式のPCコンクリート製造設備を増設。
5月
同系会社、株式会社旭愛を設立。
昭和55
4月
札幌支店を石狩市に移転し札幌営業所を札幌市に開設。
昭和54
6月
石狩市に札幌工場を新設。
1月
沙流郡門別町に富川工場を新設。
昭和53
3月
札幌営業所が支店に昇格。
昭和51
10月
本社を旭川市東鷹栖東3条4丁目に移転。
4月
福屋コンクリート工業所、系列下におさめる。
東鷹栖工場内にバイコンパイプ並びにスプリットンブロックの新エ場を新設。
昭和49
9月
同系会社、株式会社旭運設立。
3月
雨竜郡雨竜町に工場新設。
昭和48
4月
名寄市に工場新設。
昭和46
4月
同系会社、旭勇産業株式会社設立。
帯広営業所開設。
昭和45
8月
山越郡八雲町に工場新設。
6月
砂利採取業の登録を受ける。
3月
本社を旭川市永山町41番地に移転する。
初代社長物故され、山下弘二代目社長に就任する。
2月
河東郡音更町に帯広工場新設。
昭和44
4月
紋別市渚滑町に工場を新設。
紋別工場内に全自動パンチカード式生コンクリート製造工場を新設と同時に紋別営業所開設。
昭和42
4月
東鷹栖工場内に新製品の即時脱型バイコンパイプ並びにバイコン一般コンクート二次製品専門工場を新設する。
昭和37
4月
旭川市東鷹栖町に工場を新設、主として護岸ブロックの製造を始める。
昭和28
7月
法人に組織替えし、旭ヒューム管工業株式会社を設立、初代社長に山下勇就任資本金500万円を以って旭川市永山町に工場を新設、道路用コンクリート製品並びにヒューム管の製造を開始、新発足する。
昭和24
5月
建築用ブロックの製造並びに建築施工を始める。
昭和21
8月
赤平市雄別炭鉱(株)茂尻鉱業所内に工場を設け、炭鉱専属のコンクリート製品を製造する。
昭和20
10月
旭川市1条通りに工場を新設する。
昭和17
4月
一般コンクリート製品と併せ、建築用コンクリート屋根瓦の製造を始める。
昭和14
10月
旭川市宮下通り及び神楽町に工場を増移設する。
昭和6
初代社長 山下 勇個人経営にて上川郡東神楽町に山下コンクリート工業所を創業、コンクリート製品の製造を開始する。
